沖縄電力の社内報に掲載された沖縄電力硬式野球部の連載記事を紹介します。
與古田外野手は入社3年目ですが、昨年の途中までは投手としてプレーしていましたので、社会人野球では実質1年前後と思って結構でしょう。
日本選手権大会九州地区二次予選では2番センターに定着し、第1代表決定戦では三塁でタッチアウトになりましたけど幸松司投手(九州三菱自動車)から二塁打打つなど、若手選手の中では一際目立った存在でした。
足も打撃も良いだけに、上手く行けばプロ入りもありえるのではないかな?。
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≪挑戦!!!わったーおきでん硬式野球部≫
当社の社内報「おきでん」に掲載している硬式野球部のコーナー「挑戦!!!わったーおきでん硬式野球部」を紹介します。
野球の奥深さに触れ、さらに成長中!!
今回は、チーム1元気があり持ち前の明るさでチームを盛り上げる入社3年目、20歳の與古田光治(総務部総務課)を紹介します。高校時代には目立った活躍こそ出来なかったが、身体能力が高く、昨年投手から外野手に転向し、今年6月の都市対抗九州予選でタイムリーヒットを放つなど成長が著しく、期待の若手選手です。
■「私の青春時代そして今 第12回 與古田光治(よこだこうじ)[20歳]」
●野球を始めたきっかけ
・思い出
小学校3年生の時に親や親族の強制的な勧めで地元の野球チーム(具志川シャークス)に入部しました。自分が少年野球でやってきたことや思い出は、はっきりと覚えていませんが、当時の監督・コーチに会った時には「お前、変わったな!」とよく言われます。何が変わったのか…当時の事を思い出してみたいです。(笑)でも、唯一の思い出は、地区大会で勝って九州大会に出場し嬉しかったことです。
・高校の思い出
中学で野球は辞めようと思っていた時に、当時の前原高校の新垣監督からの誘いがあり、まだまだ野球を続け夢の甲子園を目指したいと思うようになり、前原高校に進学し野球を諦めず続けることができました。あの時、新垣監督の誘いがあったからこそ今の自分があると思います。
高校3年間で一番印象に残った思い出は…甲子園出場をかけた高校最後の夏。県予選1回戦9回裏4−5と1点リードされ、一死一塁の場面で打席に立った自分は最悪のサードゴロダブルプレーで試合終了。甲子園が夢のままで終わってしまいました。その時は本当に悔しくて一塁ベース上で泣き崩れて涙がとまらなかったことを今でもはっきりと覚えています。その悔しさがあり野球を続けたいと思う強い気持ちがあったからこそ、今ここで野球を続けている自分がいると思います。高校野球が終わり初めてこんなに野球を好きになり野球を続けていて良かったと思いました。かなり遅いですよね(笑)
・社会人野球の思い出と抱負
入社当時、社会人野球の1人1人の1球に対する思いや行動・感情・考え方が自分とは違い最初はとても驚きました。監督・コーチ・先輩方と練習していくにつれ野球の奥深さを知り、これまで以上に楽しくなり、このメンバーと一緒に野球ができて幸せです。
最近では都市対抗九州地区二次予選にも出場する機会がありながらも、結果を思うように出せなくてかなり悔しい思いをしました。悔しい思いをまたしないために、そしてこのチームで日本一になるために、さらに自分のスキルを上げ、目標を高く持ち練習に取り組んで行きます。そして、会社・職場の方々、この環境でプレーできることに感謝し、チーム一丸となり日々練習に励み11月の社会人野球日本選手権大会(京セラドーム大阪)の代表権を獲得します。ご声援よろしくお願いします。
與古田外野手は入社3年目ですが、昨年の途中までは投手としてプレーしていましたので、社会人野球では実質1年前後と思って結構でしょう。
日本選手権大会九州地区二次予選では2番センターに定着し、第1代表決定戦では三塁でタッチアウトになりましたけど幸松司投手(九州三菱自動車)から二塁打打つなど、若手選手の中では一際目立った存在でした。
足も打撃も良いだけに、上手く行けばプロ入りもありえるのではないかな?。
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