M日新聞より。
■野球:野茂英雄が現役引退 HPで表明 日米で201勝
日本人選手のアメリカメジャーリーグ移籍に道筋をつけ、日米通算201勝を挙げた元大リーガーの野茂英雄投手(39歳)が7/17、現役引退することを明らかにした。同日、自身の公式ホームページで表明した。
野茂投手は今季、ロイヤルズとマイナー契約を結び、開幕直後に3年ぶりとなる大リーグ昇格を果たした。しかし、中継ぎで3試合に登板しただけで、4月20日に戦力外通告を受けた。現役続行の道を探ったが、獲得に乗り出す球団はなく、引退を決意したとみられる。
野茂投手は大阪・成城工高から社会人野球・新日鐵堺に入社。1988年の第59回都市対抗野球で若獅子賞(新人賞)を獲得したほか、1988年ソウルオリンピックでは、公開競技ではあったが野球の日本代表として銀メダル獲得に貢献した。1990年ドラフト1位で近鉄バファローズ入団。体を大きくひねる「トルネード投法」で話題を集め、新人王や、入団から4年連続で最多勝・最多奪三振のタイトルを獲得した。
1994年オフに近鉄を任意引退の形で退団し、ドジャースに入団。村上雅則氏(ジャイアンツ)に次ぐ日本人2人目の大リーガーとなり、1995年シーズンに13勝6敗で新人王を獲得。「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なファンも現れた。1996年には日本人投手として初めて、大リーグで無安打無得点試合(ノーヒット・ノーラン)を達成。2001年に2度目を達成し、ナショナル、アメリカンの両リーグで記録した史上4人目の選手ともなった。日本プロ野球での通算成績は78勝46敗1セーブ、アメリカメジャーリーグでは123勝109敗だった。
■野球:野茂引退 衰えても、スタイル貫き 功績は不変
7/17に現役引退を表明した野茂英雄投手(39歳)は、まさに革命児だった。
野茂が近鉄からアメリカ大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍したのは1995年。当時、大リーグは前年の選手会ストライキの影響で、深刻なファン離れに苦しんでいた。
太平洋を渡ってきた「トルネード」は、文字通りアメリカ球界に旋風を起こした。150km台の直球と、鋭く落ちるフォークボールを武器に三振の山を築いた。1996年9月には無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)も達成。「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なファンを生み、スタジアムには観客が戻ってきた。野茂は大リーグの救世主になった。
その後の大リーガー人生は順風満帆ではなかった。1998年シーズン途中にドジャースからメッツに移籍し、その後も多くの球団を渡り歩いた。マイナーに落ちたこともある。
しかし2001年からは、もう一度輝きを取り戻した。3年連続の2けた勝利。2001年4月、レッドソックスに移籍した初戦では2度目のノーヒット・ノーランを記録し、この年、2度目の奪三振王を獲得した。当時のレッドソックスのジョー・ケリガン投手コーチは「彼は鉄の男だ」と評した。報道陣にだけでなく、ロッカールームでも寡黙で、決して愛想は良くない。だが、どんな状況でも不満を言わず、ピンチに顔色を変えず、黙々と投げ込む姿勢は、首脳陣からもチームメートからも尊敬を集めた。イチロー選手(マリナーズ)の移籍でメジャー初対決が実現したのは2001年5月2日。その時も「対戦は楽しみだった」という一方、「彼は既に十分、活躍している選手。きょう(の対戦)が特別な日ではない」と冷静な言葉も残した。
全盛期の球威は徐々に失われたが、速球とフォークが軸のスタイルは変えなかった。ツーシーム、チェンジアップが流行する大リーグで、一層独自の色を出すようになった。2003年にヤンキース入りした松井秀喜選手は、当時の野茂について「最近のメジャーの打者は、あのフォークを見慣れていないんでしょう」と話した。周囲に流されない一徹さが、長い現役生活を支えた。
メジャー生活の最後は華々しいものではなかった。しかし、その後のイチロー、松井秀喜、松坂大輔各選手らのメジャーでの活躍も、野茂の存在があってこそ。その功績は決して消えることはない。
◇球場外でも野球人−−NOMOベースボールクラブ創設、企業廃部に受け皿
野茂の功績は、日米通算201勝の数字だけでは計れない。選手の受け皿拡大のため、地域密着の「NOMOベースボールクラブ」を設立するなど、プレー以外の活動にこそ、野球人としての志がうかがえる。
2002年にアメリカ独立リーグ球団の共同オーナーとなった野茂は、その年のオフ、国内選手向けに入団テストを行った。不況によるリストラなどで社会人野球の企業チームの休廃部が相次いだ時代。野茂が所属していた新日鐵堺(大阪)も1994年に休部した。
テストに集まった選手のレベルは想像以上に高く、野茂は「野球を続けたくても続けられない選手にチャンスを与えたい」との思いを強くした。
2003年春、堺市を拠点にするNPO(非営利組織)法人のクラブチーム「NOMOベースボールクラブ」を設立。監督に就任した社会人時代の先輩、清水信英さん(50歳)は当時を振り返り、「(2002年冬)帰国した野茂と話した時、『クラブチームを作ったら監督をしてくれますか』と言う。翌朝、彼は新幹線で東京に向かう車内から電話で『お願いします』と言ってきた。二つ返事でOKしました」。
NOMOクラブから、プロ入りの夢をつかんだのが、2005年秋の大学・社会人ドラフト5巡目で中日ドラゴンズに指名された柳田殖生(やなぎたしげお)内野手(26歳)。柳田は「自分を拾ってくださった野茂さんに感謝しています。以前会った時は、『夢をあきらめないで』と言われました」と話す。柳田は2007年6月に1軍デビューし、プロ初本塁打も放った。
清水さんは「受け皿のない地域に第二、第三のNOMOクラブを作りたいと、あいつは思っています」と、野茂の第二の人生の夢を、野茂に代わって誇らしげに語った。
◇「やりたいが、けじめ」野茂が胸中
野茂英雄投手は、栄光のキャリアの幕を自ら下ろした。17日、「リタイアすることにした」と現役引退を決めた胸中を語った。
−−決断に至った経緯は。
「中途半端にしていてもしょうがないし、けじめをつけないといけない。ファンにも報告しないといけない。どこも取ってくれる球団はないと思う」
−−未練はないか。
「自分の中ではやりたいが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う」
−−4月に大リーグ復帰を果たしある程度納得したのか。
「そんなことは全然ない。引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」
◇父「誇りに思う」
大阪市に住む父・静夫さん(69歳)によると、17日昼、アメリカにいる野茂から直接、国際電話が入り「きょうで引退する」と告げられたという。今年1月、野茂が実家に泊まった際、静夫さんが「もう、けじめをつけたらどうか」と尋ねたところ、野茂は「もう1回挑戦する。まだ、あきらめていない」と話していた。静夫さんは「(引退は)驚いたが、自分自身で決めたこと。英雄のやってきたことに、私は誇りを持っている。ここまでよくやってくれた」と語った。
◇「生き様、見せてくれた」
かつて社会人野球で監督として対戦し、日本代表コーチで指導した経験があるJR北海道の高岡茂夫監督(58歳)は「挫折を味わっても限界に挑戦する精神は日本人の心。野球人としての生き様をみせてくれた」と、これまでの労をねぎらった。
高岡監督は1987年、たくぎん監督として初めて新日鉄堺の野茂投手と対戦。野茂投手はほぼ直球のみの投球だったが「まったく打てなかった」という。プエルトリコで開かれたインターコンチネンタル大会(89年)では、日本代表コーチとして野茂投手と約3週間、生活をともにした。3度の食事をしっかり取り、遠投とキャッチボールで納得のいくボールが投げられるまでは決してブルペンに入らなかった。そうした投手としてのこだわりを目の当たりにした。
高岡監督は「社会人野球での経験を生かして国際舞台で活躍してくれたのはうれしかった」と話し「引退は惜しいが、貴重な経験をアマチュア球界に還元してもらいたい」と、第二の人生に期待を寄せた。
タイムラグがありましたけど、野茂英雄の引退記事を載せました。
正確に言えば彼のメジャー挑戦は当時の鈴木啓示監督との固執が一番でした。
現エースと元大エースという関係は意思の疎通が上手くいかなかったのもあって、監督就任した直後から関係は相当不味かったと聞いております。
特に野茂独自の練習法を鈴木は「野茂はやる気が無い」とメディアに伝えた事はチーム内で監督に対する不振が強まりました。
まあ、野茂が近鉄以外の球団でもこの手の問題はいつでも起きうる状態だと思いますが・・・・・。
プロ野球(NPB)、メジャーリーグでの実績については色々とメディアに書かれているので敢えて触れませんけど入団直後に結果が悪かった時期もありながら最多勝、最高勝率、最優秀防御率、奪三振王などの賞を総なめにした時に言われていたのは「社会人野球2,3年目の頃の方がすごかった。」と言う当時対戦した選手達の意見が多かった事です。
たぶん、彼自身が最も記憶に残っているのは、社会人野球2年目の1988年の都市対抗野球大会で大昭和製紙の金沢健投手(休部後、川崎製鉄千葉へ移籍)との延長17回の投げあいで勝利した試合じゃないでしょうか?。
この年はベスト8、翌年はベスト4進出で野茂の評価は一気に上がりました。
彼自身、成城工高時代に完全試合の実績はあるものの、当時はプロのスカウトが指名を打診するほど評価が高くなかった事を考えると、近年の高卒採用が激減している社会人野球の雇用状況を考えると野茂のような選手はしばらく出ないのではないかと感じております。
NOMOベースボールクラブに関しては色々良い事も悪い事もあるけど、自分は茨城ゴールデンゴールズや岩手21赤べこ野球軍団より好感を持っております。
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